アカデミー賞受賞が決まって以来、連絡が取れず沈黙を続けていたボブ・ディランが、雑誌のインタヴューに答えたらしい。「信じられない」「素晴らしいことだ。こんなことを夢見る人がいるか?」そして、授賞式への出席の意向を問われると「もちろん、できることなら」と答えたという。
受賞発表から、僕はディランがアカデミー賞を受けいれるのかどうかについて深く考えていたが、あえて沈黙を貫いてきた。
DESIRE (欲望) 1975年
僕が持っているディランの唯一のアルバム。あの時代、どちらかといえばロック小僧であった中学生の僕にとってディランは難解であった。ディランの歌詞の内容には多少なりとも興味はあったのだが。
ラジオから流れてきたアルバム1曲目の「HARRICANE」に脳天をガツンとやられた。ディランにしては珍しくシャウトしているかのような歌いっぷり。当時(いや、今も)英語を聞き取れなかった僕は、歌詞の意味は分からないものの、ディランが何かを訴えている、怒っていると感じた。当時の曲としては長く、8分30秒に渡りディランは怒りっぱなしだ。歌詞の内容は、殺人の冤罪で投獄されたボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの無実を訴えたプロテスタントソングであった。
Yes here comes the story of the Hurricane
The man the authorities came to blame
そう これがハリケーンの物語
警察は彼に罪を着せた
思いっ切り韻を踏んだ歌詞が、これでもかとマシンガンのように飛ぶ。
バックでは哀愁を帯びたヴァイオリンの音が切なく踊る。
さて、ディランは授賞式に出席するのか?果たして賞金9,400万円を受け取るのか?時代の代弁者と呼ばれたディランにとって、アカデミー賞は何を意味するのか?受賞によって音楽業界に資するものはあるのか?どんなメッセージを発信するのだろう?
ここで僕もこの件に関して沈黙を破ることにした。
もらってくれ、ディラン。…僕ならもらう。Such Is Life.