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歴爺のお供で その1 富岡製糸場

「富岡製糸場にどーしても行きたい!」とゴルフ仲間でもある先輩が度々駄々をこねていた。この方は時々歴史の知識をひけらかす癖のある御仁である。通称「歴爺(れきじい)」(歴女をモジった歴史ジジイ)。「奥さんと行けばいいじゃないですか。」とかわしていたが、とうとうお供をすることになってしまった。

その方の車はシート位置をセットするNO.2のボタンを押すと僕のシートポジションにセッティングされている。つまり運転手役に連れて行かれたのである。プラス歴史薀蓄の聞き役に…。

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富岡製糸場 (群馬県富岡市富岡)

早朝4時に浜松を出発して8時過ぎに到着。順調な滑り出し。駐車場のおじさんが「是非ガイドツアーで説明を聞いて下さい。」というので参加。このガイドがとても分かり易くて為になるツアーだった。製糸場の歴史や裏話をお勉強。

 

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明治維新後の日本政府が、富国強兵・外貨獲得のために生糸の品質改善・生産向上と技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場として明治5年(1872年)富岡製糸場を設立。2014年世界遺産に認定される。

 

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 最新の技術を学び、地元へその技術を持ち帰るために15歳以上の女性が全国各地から集まった。交通網の整備されていない時代に30日も掛けて歩いてたどり着いた少女もいたらしい。その学ぶ姿勢は未だ15歳そこそこの少女たちにしては真摯たるものであったようだ。

 

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 フランス人技師たちによる建築技術と製造設備。140年以上前の物とは思えないほど立派な工場で、しかもとても良い状態で保存されている。

 

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 ガイドさんから説明を受けながら歩いていると、当時の工女さんの働く姿や機械の音が浮かんでくるようだ。

 

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 技術者として招いたフランス人ポール・ブリューナに用意された邸宅。確か800坪近くだったと思うが、こんな大きな屋敷を与えられたことが如何に政府の期待が大きかったが伺える。報酬も当時の総理大臣の下の位ぐらいの高給だったそうだ。

 

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繭から生糸を作るまでの工程も勉強したりで歴爺も大喜びだ。この蚕は生きいた。

 

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工場は官営から民営へと移り、最後に所有していた片倉工業(グンゼ)が、操業停止後も年間1億円程の費用(固定資産税や維持管理費等)を費やして保存していたために非常に良好な保存状態だ(現在は土地は富岡市に売却、建物は無償譲渡)。見事な企業の社会的貢献活動である。これから下着は積極的にグンゼ製品を身に着けよう!

 

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製糸場というと思い浮かぶのは映画化もされた「あゝ野麦峠」(山本茂実著)だ。

劣悪な環境化で働いた製糸工女の哀史。当初ここもそういう観点での歴史ある工場かと思って訪ねたが、冒頭の説明書きのように当初は工女が技術を学ぶ官営の模範的製糸場であったようだ。「あゝ野麦峠」のような工女が虐待を受ける時代は数十年後の話らしい。民間に経営が移されて金、金、金となってからのことだ。

 

いやあ~、正直言うと半ば仕方なく付いてきた感はあったけど、実際に目にしてホント良かったなあと思える遺産だった。たまには歴史を学ぶっていうか歴史に触れるのもいいもんだ。「歴爺」に対抗して「歴おじ(歴史おじさんの略)」を目指そうか。

 

さ~て、車のシートポジションをNO.2にセットして次の目的地に向かいましょう。

歴爺の次の目的地は何処ですか…? Such Is Life.