The Killing Fields 1984年 英米
30年程前に見て以来、時々思い出してはもう一度見てみたいと思っていた映画(DVDを買えば済む話ではあったけど)。BSで放映されたので感激の再会を果たす。
NYタイムズの記者シドニーは現地の記者であり通訳のプランと共にカンボジア内戦を取材していたが、ポル・ポトが率いるクメール・ルージュが優勢となり米軍が撤退することになる。
仏大使館に逃げ込んだ彼等であるが、外国人記者は帰国できるがカンボジア人のプランは国外へは出られない。シドニーは自力で国境を超えると言うプランを引き留め、パスポートを偽造して彼を助けようとするが失敗。プランはクメール・ルージュの労働農園に移送される。そこは大量殺害が繰り返されるキリングフィールド。
一方、米国に帰国したシドニーはプランを探す努力をしながらカンボジア取材の記事によりピューリッツァー賞を受賞するものの、当時の取材仲間からプランをカンボジアに残してきたことを非難される。
4年間の強制労働を生き延び、プランは命からがら脱走を果たす。
プランが難民キャンプに逃げ込んだことを知ったシドニーは彼の元を訪れる。
この再会シーンの感動的なセリフが忘れられなかったのです。
シドニー 「許してほしい」
プラン 「許すことなどなにもない」
凄惨なキリングフィールドを体験したプランの言葉が凄い。
この映画は事実に基づいた話です。
そして、確かめたかったのが原語で何と言っていたのかです。
Forgive me
Nothing to forgive you , Nothing
この作品は戦争映画としてではなくヒューマンドラマの名作として僕の映画ベスト10 に殿堂入りです。Such Is Life.