白洲次郎100の言葉 宝島社
あまり知られていないことだが(知られる由もないのだが)、僕は白洲次郎が好きだった。一時は次郎に関する本を数冊まとめて読破するほどの熱狂振りでもあった。
ただある時に別の尊敬する御仁の「白洲次郎は戦時中、軍隊への服役を免れるように工作したから好きにはなれない」という言葉に触れ、やたらとあちこちから感化され易い僕は次郎のことを忘れかけていたのである。
先日訪れた書店で、何の気なしに「白洲次郎」の文字が目に入ってきたので、久方振りに手に取ってみた。
白洲次郎 1902-1985年
芦屋の商家に生まれ中学卒業後に英国ケンブリッジ大学に留学。昭和金融恐慌で実家が倒産し帰国。その後会社勤めなどを経てイギリス大使であった吉田茂と面識を持つ。
世界大戦後、連合国占領下の日本で吉田茂首相の側近としてGHQ等との交渉に当たる。敗戦国でありながらも日本国の主権と日本人の尊厳を守るためGHQと臆することなく渡り合い、GHQをして「唯一従順ならざる日本人」と呼ばれた。
サンフランシスコ講和会議では、吉田首相がGHQの検閲を受けた文章を英語で演説しようとしたことに激怒。急遽日本語に代えて演説させたという。
「戦争には負けたが奴隷になったのではない」己のプリンシプル(原理、原則、主義)を絶対に曲げない人物であった。
その後は省庁再編や東北電力の会長職を務めるなど実業家として活躍。老後は引き際の美学に基づき百姓をしながら隠遁生活を過ごす。享年83歳。遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してあった。
次郎にはとてもここには書ききれない数多の武勇伝と歯に衣着せぬ金言があるが、最後に僕の好きな有名なエピソードをひとつ。
GHQ民生局長のホイットニー准将に英語を褒められた次郎が返した言葉。
「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になりますよ」
白洲次郎、とにかく僕にとっては痛快な人物である。
やっぱり好きだな。Such Is Life.