エコール・ド・パリ
1920年代モンマルトルやモンパルナスでボヘミアン的生活を送りながら活動していた画家達。自由と退廃に彩られた文化。酒と女とパーティーの「狂乱の時代」
そんな時代に単身パリに留学した日本人画家藤田嗣治(レオナール・フジタ)
貧困に喘ぎながらも壮絶なまでの修行で独特の画風を確立。その一方で奇抜な服装や風貌でパリの街を闊歩し、数々の乱交ともいえる奇行を繰り返す。女運がなかったのか5回の結婚も。
藤田嗣治 「異邦人」の生涯 近藤史人著
フランスでの賞賛とは裏腹に日本では低い評価どころか「日本の恥」などと痛烈な批判も受けるフジタ。
大戦中に帰国を余儀なくされ日本で描いた戦争画によって日本の画壇からは戦争責任までを追求される羽目に。戦後日本と決別して再び渡仏。仏国籍を取得して二度と故国には戻らなかった。
誤解や偏見と格闘し続けた画家。それでもフジタは人生にも画風にも「日本人であること」「日本人らしさ」にこだわり続けた。
レオナール・フジタ 私のパリ、私のアトリエ
本に登場する作品を画集で眺めていくと作風の変遷が明瞭になって楽しめた。
晩年日本からの批判から遠ざかるようにフランスの田舎に終の棲家を見つけ、制作活動を続けながらも夫人と二人で穏やかな隠遁生活を送る。
最後の仕事は自らの死に場所として建設した礼拝堂に描いたフラスコ画。享年81歳。
亡き後ながら日本でも作品が高く評価されるようになったのは芸術家としての本懐か。
こんなに画家の伝記本にのめり込むとは思いもよらなかった。
どんな世界でも何かに徹して捧げた人生は長い歳月を経ても輝きを失わない。
さて、1920年代のパリで思い出すのは
ミッドナイト・イン・パリ 2011 米 監督ウッディ・アレン
エコール・ド・パリの時代にタイムスリップした主人公。
そこで出会ったのは憧れの小説家フィッツジェラルドやヘミングウエイ、そしてピカソやダリだった…。
古きよき時代の郷愁にかられる情景と音楽に浸れる映画だった。
たまにはノスタルジーなSuch Is Life.