Such Is Life

soul-searching-diary

何人かで食事をするということ

 f:id:bucketlist:20150317110328j:plain

 

複数の人たちと食事の場所を決める場合、「どんな料理」「どんな店」「価格帯は」など同行者とのある程度のコンセンサスが必要となる。

こんな時は雰囲気を読んで多数派に従うのが賢いやり方だと思っている。たとえ自分の好みの店とは違っても、それはそれで仕方ない、楽しまなければもったいない。

 

ましてや、その地域の飲食店に明るくない土地での店舗決定はやっかいだ。誰もその店のクオリティを知らないのだから。そんな場合はダーツを投げて当たった店に入って、店が良かったら儲けもの外れたらそれはそれで残念だったねみたいなノリで終わりにしたい。

 

だけど、ここでヨシと入店したのにも拘らず、お気に召さない方は「店が暗い」「ここの味付けは辛い」「あそこの方が美味い(その日はそんな所までは行けないのは承知なのに)」「俺は〇〇は嫌いだ」などと食べ終わるまで引きずる。

 

挙句の果てには割勘をよいことにして酒の追加までする…。

 確かに自分も酒飲みではあるが、素面でこんな場面を見ていると「酒飲みの卑しさ」というものを感じてしまう。

 

食事のあり方は自身の育ちを映し出す鏡かも知れない。

自分も気を付けなければ。

 

「写真の天丼はどうだった?」かって…。

「腹いっぱいになってよかったよ」

それでいいじゃん。ダーツの矢は料理の味に興味が無いのだから。Such Is Life.